2008年02月20日
ムハンマド・アリーの生い立ち
この事の背景には何があるんでしょうか。
生い立ち
ムハンマド・アリーは、マケドニア地方の東部の港町カヴァラ(現ギリシャ領テッサロニキ近郊)で下級軍人の家庭に生まれた。民族的な出自はアルバニア系ともトルコ系ともイラン系ともクルド系とも言われるが、アルバニア系とする見解が主流である。
父のイブラヒム・アーはカヴァラ市長官に仕える不正規部隊の司令官に就くかたわらで、タバコ取引に従事する商人でもあった。幼いころに父を失ったムハンマド・アリーは、父の主君である市長官のもとに預けられて成長し、18歳のとき主君の親戚の女性と結婚して父の職を引き継いだ[2]。
ムハンマド・アリーの独特の国際感覚は、このカヴァラで過ごした青年時代に多くの民族、外国人の商人たちと交渉を積む中で培われたと言われる。
エジプト上陸
1798年にナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がエジプト遠征を開始すると、エジプトの宗主国であるオスマン帝国は、フランス軍との戦いのためにバルカン半島方面から軍隊を派遣したが、その一部としてアルバニア人不正規軍が編成された。このとき、カヴァラ市でも長官によっておよそ300人のアルバニア人不正規兵が集められ、長官の子息が隊長、ムハンマド・アリーが副隊長に任命されてエジプトに派遣された。
カヴァラ市のアルバニア人部隊はオスマン帝国軍の一翼としてエジプトに上陸しようとしたが、最初の上陸作戦はフランス軍に阻まれて失敗に終わり、これに怖気づいた隊長がカヴァラに帰国してしまった。
かわってカヴァラ市のアルバニア人部隊の隊長となったムハンマド・アリーは、優れた軍才と政治能力を発揮してたちまちオスマン帝国軍の間で頭角を現していった。フランス軍の撤退した1801年には、彼は全アルバニア人非正規軍の副司令官にのぼっていた。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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